江戸時代初期には新島と式根島の間は浅瀬で歩いて渡れたので1つの島として数えられていたから。
江戸時代松前藩は、米が取れなかったが、鰯が大量に捕れることから、稲作に欠かせない肥料の産地として、米が採れなくても一万石となった。